共創型対話学習研究会の研究活動
                                                                                                                                                                                                                                     多田 孝志

 会員の皆さん、厳しい時代ですが、心身ともに健康でお過ごしでしょうか。時代はまさに変化し、教育もまた、その根本理念を問い直すことが緊要となってきています。

 共創型対話学習研究所は、全く稀有な教育実践の研究組織です。質の高い教育実践の創造を目指し、全国各地から「自主的」に様々な分野の仲間が集い、「共創型対話」を基調に置いた、教育実践について報告し合ってきました。論議はいつも自由闊達であり、しかも、深く思索がぶつかり合い、高みを追求してきました。

 この自主性と自由さこそ、本研究会の特色であり、それがゆえに、奇跡のようにこうした会が、継続してきています。刊行し続けてきて、機関紙は、『未来を拓く教育実践研究』は、準学会誌として認定され、先駆的研究に取り組む研究者たちから非常に高い評価を得ています。

 この研究会を今後も継続しようと決意しています。このための有用な手立てとしてHPを活用していきます。

 コロナ禍ですが、青木会員(信州大学)の支援で、冬季の同大学での開催が企画されています。可能なかぎり参加し、久しぶりに、精神の自由を享受し、心許す仲間たちとの対話を愉悦を味わしましょう。
 最近の多田の論考の一部を掲載します。


【変化していく社会】

 いま、人々はこれまで当然と思ってきた社会のあり方に疑問をもち、いつの間にか無意識的に流されていくことに疑問を感じだしている。何かが終わろうとしていることに漠たる不安感を抱きつつある。倫理観や価値観の変革さえ見通せる先行き不透明な社会の到来を感じながら、その何かの正体は明らかにされていない。はっきりしているのは、私たちの世界が地殻変動にも似た大転換期を迎えていることだ。

 世界の先行きへの不安感を現実化しているのが新型コロナウイルスの蔓延である。この新型コロナウイルスの脅威は感染の強さ、致死率の高さだけではない。より深刻な問題は、人間を分断させる破壊力をもっていることだ。排斥・隔離の思想が、新型コロナウイルスへの即時的対応を超えて、人間の本質である他者への響感や、進取の気風を奪う危機にある。疑心暗鬼が増幅し、つながりが希薄になり、社会の不安定さが加速しつつある。

 新型コロナウイルスの世界的流行は、その対応をめぐり、今後の世界が途絶に向かうのか、共創・共生に向かうのか、その岐路にあることを示しているように思えてならない。  途絶と断絶の蔓延は、ソーシャル・ディスタンスの流行となり、人間相互の隔離は、地域・近隣の親和関係を消失させ、学校生活においても、教師たちの必死の努力にもかかわらず仲間とのface to faceの関わり、他者との五感を通しての温もりのある交流の機会が激減しようとしている。

 新たな時代とは、不透明性(Opacity)、相互依存性(Interdependency)、変動性(Volatility)、不確実性(Uncertainty)、複雑性(Complexity)、多様性(Diversity)、未来志向性(Future-oriented)に、その特色あると考える
いまこそ、社会の複雑性・多様性をむしろ活用して、自己や他者、多様な生命体、事象とのかかわりを重視し、対話し、熟考し、人間が本来持っている叡智を生起させ、新たな共生・共創型の未来社会を創造する人間の育成が求められるのである。

 共創型対話は、こうした共生・共創型社会の人間形成を希求する学びに基本技能である。


【教育の現状の課題と、転換期に対応した教育を創造する必要】

 教育は未来を拓く創造的な営みである。先行き、不透明で、価値観や生き方が変化していくだろう社会の到来を背景に教育には新たな時代・社会に対応した人間の育成が期待されてきているのである。

 それは、地球環境の破壊、難民・紛争の発生、貧富の格差の拡大、絶滅危惧種の急増などの地球的課題が顕在化し、分断・隔離の兆しがみえる世界の冷厳な現実への対応ができ、文化や価値観の相違や利害の対立などのアボリア(哲学的難題)へ挑戦し、生命の危機をもたらす新型ウイルスに打ち克ち、人工知能(artificial intelligence: AI)への優位性を発揮できる人間の育成ではなかろうか。このために、従前型の体系化された知の伝達というパラダイムでは対応できず、「タイムリー・ウィズダム」を育むための、新たなパラダイムの創造が求められている。

 教育の現状を考察してみよう。教育界を理論的にリードする教育研究者の教育実践に関わる最近の論考を可能な限り収集し、読んでみた。明晰であり、系統的であり、整理されており、教育実践のあるべき方向を示す論考に啓発された。しかし、その大部分は、現状の教育の方向を肯定的にとらえ、その精緻な分析と再構成をなし、解説を記している。

 確かに未来社会の担い手の育成を掲げ、主体的・対話的・深い学びが提唱され、持続可能な開発のための教育やSDGsの必要が喧伝されている。
 これらはグローバル時代の人間形成のための有用な方途である。教師たちの真摯な取り組みにより、質の高い教育実践もわずかに散見できる。

 しかし、ESD,SDGsの実践研究をする知人たちに問うてみると、事実として学習者を新たな時代に対応した人間として成長させる視点から観て、現状の教育実践の多くが皮相的・形式的で、学習者の心を揺り動かし、きたるべき時代・社会に必須な資質・能力、技能を効果的に育むまでに至らず物足りなさを感じているという。筆者も同感であり、希望ある未来に向けて教育実践を探究しようとする志ある教師たちは、真摯にさまざまな実践上の工夫をし、そこに一定の学習効果を見出しつつ、「これでよかたのか」との漠たる不安感、迷いを感じとっているように思えてならない。

 その要因は何であろう。その要因の一つは、ウヴェ・ペルクゼン(ドイツの言語学者)が指摘するごとく、流行の用語さえ使えば実践が先駆的になると思い込む、プラスチック・ワード化であろう。しかし、より、根本的な問題は、新たな時代の人間形成を推進する教育の基調の置くべき実践哲学ともいうべき理念がいまだ不明確なことにあるのではなかろうか。

 この新たな時代の人間形成を推進する教育の基調の置くべき実践哲学ともいうべき理念を明確にしていくためには、従前の教育の理論・実践の枠を超え、人類の英知・多様な学際的分野から提示される未来の教育への提言に手がかりをもとめる必要がある。

 このことは、冒険であり、批判、反発、疑問をよぶことも覚悟しなければならない。しかし、人類史を辿るとき、人々は勇気と冒険心、創造力と対話により、新たな世界を切り拓いてきた。大変革の教育の方向もまた、大胆かつ先駆的試みによってこそ、明らかになっていくと確信する。

 ※ 上記について、多田の見解を今後HPに掲載していきます。