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21世紀の社会は、多様な分野が絡み合い、ぶつかり合い、ダイナミックに変化している。他方、最近の教育実践は、総体的にみて矮小化しているように見える。教育界の緊要の課題は、新たな時代に対応した人間形成を念頭に、実践研究の基盤を広げる事ではなかろう。さまざまな分野での飛躍的な研究の進歩を教育実践に取り入れる必要を痛感する。それらの中で、当面、次の2点の実践研究の必要を提唱する。
(1)感性(Sensibility)と理性(reason)の融合
感性とは、本来人間に備わっている、五感を通して生じる主観的で言葉になりづらい自分自身の内部に根ざした心的活動及び能力である。瞬時な感情であり、直感・直観、興味・驚きなどとして表れる。
一方、理性は、感情的欲求に左右されない。道理筋道に基づいて考えたり、判断したりする能力、感情に走らない能力である。
理性が、観念的知識をベースとして言語モードによって自覚的,意識的に働く能力であるのに対して、感性は,五感から情報をベースとして、主に非言語モードによって無意識のうちに直感的に働く。
理性と感性は対立しているようにも思えるが、しかし、人間の卓越性は,理性と感性の両輪のように働く点にこそ見いだせる。しかも両者は互いに影響し合って、われわれの思考や行為に対して相乗効果をもたらすことがある。
この感性と理性、感覚的内容(感性)と論理的世界(理性)の橋渡しをするのが、悟性(understanding)である。悟性は、感性により受けた直感・直観、興味・驚きなどに、省察(reflection)・振り返り、想像(imagination)・推し量り、体験の意味づけ等の行為を行う。すなわち、直感的で主観的な感性によって生じた感覚を言葉や説明など、表現する働きにつなげるのが悟性である。
対話における「聴き合い」、聴く⇒賛意・納得、疑問・戸惑い、判断・決定⇒自己再組織化⇒表現・行動のプロセスは、悟性の行為による。この悟性の行為により、自他との深い対話の可能性が開かれるのである。
知性(intelligence)とは、感性と悟性と理性を包含する概念である。この知性の発達は、態度化を生起させる。態度とは、ある人が、ある対象(人モノ、コト)に対して、どのように感じ、考え、かつ振る舞うかという、主体の一般的な反応準備状況である。そうした意味で、感性を育むことは態度形成への第一歩である。
感性を育むためには、次の3点が有効である。すなわち、第一に、五感を発揮できる学習環境、自然環境、社会環境で活動すること、すなわち現場に行き、身体全体を使って活動することである。第二に、自分が感得したことを自覚する省察や、さまざまな事象のイメージを膨らませ、想像する体験の継続である。第三は、教師による支援・対応である。
この教師による支援・対応には2つのモードがある。一つは、マインドフルネス(mindfulness)すなわち、学習者の気づき・発見に対して開かれている柔軟な対応、あるがまま、を受け入れることである。二つ目は、マインドレス(mindlessness)である。固定的なマインドセットにとらわれて、規則やルーティンに支配されている状況=固定概念に捉われた支援・対応である。教育の場においては、問題・課題によって2つのモードを使い分けることとなる。
17世紀以降の合理主義精神とそれにともなう科学主義の興隆の下で、感性よりも理性が重視され、科学知偏重の教育がなされてきた。疑似体験・間接情報の方が直接情報より優先され、生活の周辺で五感の統合的な働きを駆使する体験が減ってきている。
他者の心情に「深く響感」できることによって、奥底にある真の意図や願いに気付いていける。理解の前提としての「深く感じること」が重要である。新しいものや未知なものに出会ったとき、戸惑い、驚き、疑問、反発などさまざまな感情がおこる。そうした感情が呼びさまされると、次にはその対象となるものをよく知りたくなる。一方、「感じる」を欠いた「知ったつもり」には誤解や偏見、蔑視を派生させる危惧がある。相手の立場や心情に響き合い、深く感じ取ろうとする姿勢が深い人間理解をもたらす。
人や事象に関わるとき、直感、感覚などを鋭敏にし、そこから感得できるものを大切にする、また、未知なるものに出会ったときの感激、美しいものを美しいと感じる感覚、人の優しさや寂しさなどを受けとめる感受性(Sensitivity)を育んでいく。感じ受けとめることは、知りたい,理解したい気持ちを醸成し、やがてものごとの本質を探究し、洞察する感性(Sensibility)を醸成していく。
人間の全人的発達を希求するためには、人間の持つ根源的な感性を鋭敏かつゆたかにする教育の創造を本研究所の研究・実践課題として位置づける。
(2)人間以外の生物との関わり
人間の社会における動物との共生は、人間の生活にとって多大な意味をもつ。犬を飼うことの効用として次の3つがあるとされる。一つ目は、AAA(AnimalAssistedActivity)~動物介在活動である。この活動は、動物を介在させることで、QOL(生活の質)を高め楽しむことを目的としている。二つ目はAAT(AnimalAssistedTherapy)~動物介在療法である。動物を介在させて、心身の治療を行うことを目的としている。三つ目はAAE(AnimalAssistedEducation)~動物介在教育である。動物と触れ合うことにより、子供たちに思いやりや命の大切さを学ばせることを目的としている(島本洋介、ジャパンドックアカデミー2014)。
米国では、虐待を受けた子供たちにAATとしての動物とのふれ合いを通して心のケアーを行うグリーン・チムニーズという施設や、受刑者に犬を飼育する活動をさせることにより、社会復帰への精神的回復を目指した刑務所が存在する。日本でも島根あさひ社会復帰センターが、受刑者が盲導犬の候補となる子犬を育てるプログラムをスタートさせている。視野を世界に広げれば,牧羊犬、災害救助犬、セラピー犬など、人間の生活を助けるために犬が存在している現状がある。
犬の飼育が,健康な身体や心の安らぎを与えてくれることに思いを馳せれば、我々が管理しているはずの動物に実は人が生かされているのである。このことは我々の中にある、人類は他の生物よりも優れた存在であるという驕りに気づかせてくれる。
新潟の小学校で,友だちとの交流がうまくできない1年生が,羊の飼育を通して、心を開き,友だちと語り合うようになった事実を知った。小笠原諸島では、野生動物を襲うネコを駆除するのではなく、なんとか生かすため都下の獣医たちと地元の人々が協力し、野生化したネコを都内に搬送し続けている運動がある。こうした動物とのふれ合いを通して、生物への興味を喚起し、社会性を育み、生命の尊さや成長の喜びを感得する教育実践をすることを期待したい。
人間にとって持続可能で希望ある地球社会の構築には,他の動物の生命・生きる権利を保障する視点を欠いてはならない。
最近、注目されるのはバイオミメティクスの研究の進歩である。新幹線の車両にカワセミの嘴の形状が、航空機に猛禽類の翼の研究が援用されているのは、その例である。蜘蛛の糸の強さ、クラゲの光の研究は、環境問題の解決に役立ちはじめている。これを可能にしているのが、生物学と工学の融合であり、その仲立ちをしているのが情報科学による、膨大な情報の分析による技術移転であるという。異分野連携は時代の流れである。すでに生物から学び社会を変えるネイチャーテクノロジー(生物模倣技術)として、シロアリの巣作りのさまざまな工夫を住宅建築に生かす技術などが実用化されている。
人間が他の生物を保護するだけでなく、むしろ動植物からさまざまな生き方を学ぶことは、教育実践においても重要な課題になると思えてならない。
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